内閣府副大臣(当時)の西村康稔氏に訊く 政治の話、若者の未来の話
官僚から政治家へ、そして閣内の実力派として活躍される西村氏に、「内閣府ってどんなお役所?」、「内閣府の丁PP担当の役目とは?」など私たちがあまり詳しくない政治のお話、そして若者が未来のために何をすべきかという点についてご自身の経験から貴重なアドバイスをいただきました。
※本取材は平成27年8月21日に行われたものです。(本誌4号掲載)
「内閣府」は政府全体の調整を行うための組織
―内閣の仕組みがわかりづらいのですが、内閣府では具体的にどのような仕事をされているのでしょうか。
基本的には内閣官房が全体の司令塔として各テーマの全体的な戦略を、内閣総理大臣の下で行います。そして、内閣府では内閣官房の仕事の、より具体的な施策を行うのです。具体的施策を実現する場として省庁も挙げられるかと思います。省庁は専門分野に特化した案件について行っております。しかし、近年では専門性のみでは対処できない問題も増えてきました。内閣官房の戦略を、各省庁との連携を行いながら実現に向けて異体的施策を講じていくのが、内閣府の主な仕事です。
例えば子育ての問題などを取り上げると、幼稚園の管轄は厚生労働省であり、保育園の管轄は文部科学省です。子育て支援の話はワークライフバランスなどの働き方の問題を考えるのであれば経済産業省なども絡んでくるのです。一つの省庁を超えるような問題の全体を見なから各省庁間で調整を行っています。
こうした背景で内閣府の活動範囲が拡大しています。医擦政策もそうです。ノーベル賞を受賞された山中教授は、かつて補助金を毎年別の省庁からもらっていました。最初は医療関係の仕事であったため厚生労働省、次の年は研究として予算を必要とするということで文部科学省、その次の年は産業化を視野に入れるということで経済産業省といったような形であったそうで す。支援省庁が変わるたびに、山中教授は毎回同じような説明を聞き、繰り返し各省庁に提出するために分厚い書類の処理をしていたということです。また、毎年省庁が変わっていくという ことは、もしかしたら来年は補助金がもらえるかどうかがわからない、という不安を抱えながら研究をすることとなるのです。日本にとって価値のある研究者にそのような時間的、精神的負担を被らせるわけにはいけないですよね。ということで、内閣府が一元的に管理して、行政上の手続きを気にすることなく研究をしていただけるようにしました。日本の国益になることを、省庁を超えて全体として進めていくことが、内閣府の役割です。また、私が担当している TPPも極めて複雑な利害関係の下に成り立っています。外交的側面から判断をするなら外務省の管轄です。工業製品の輸出という観点からなら経済産業省です。農作物の輸入関税なら農林水産省です。これらが省庁で個別に交渉を進める、ということは大変難しい。そういった案件は内閣府が担当し、全体としての駆け引きを行っているのです。TPPは、甘利担当大臣が戦略を決め大局の交渉を行っていきます。例えば、「コメの輸入量の制限」などの、皆様の日常に関わるような大きなトピックは甘利大臣が主導で進められます。そして、内閣府内閣官房が具体的な戦略を交渉、調整しています。
調整役としては、政府・与党間で働くこともあります。与党が政府として政策を進めていきますが、与党も一枚岩ではありません。どうしても与党内で、内閣に参加をしていない方は、政府の意見とは必ずしも一致しない部分というのは出てきます。そのような場合でも、与党で一致団結するために、内閣に入っていない皆様との調整や意見交換も行っています。
世の中に役に立つ仕事
―西村先生の官僚、政治家になりたいと思われた動機、経緯はなんだったのでしょうか。
元々世の中の役に立つ仕事をしたい、という思いがありました。その際、民間企業でモノを作る、あるいは商社で海外との輸出入や投資に関わっていくというのも非 常に面白い仕事だと思います。 しかし、自分や企業のために働くのではなく、もっと大きな視 点で国全体のために働きたいという思いが強かったのです。そのため、官僚や政治家という選択肢を考えました。おそらく心の根っこでは、将来政治に携わりたいという思いがあったのだと思います。
私が政治に携わりたいと考えた頃は、政治家になった人のほとんどが二世議員か官僚、あるいは秘書出身という時代だった ですね。私は、2世ではありませんから、官僚を目指しました。しかし、今ではもともと政界に嫁がない人でもチャレンジするハードルが下がっています。政治が複雑化し多様な知見が必要 であるため、自民党は新たな人を公募で選んでいます。もちろん誰でも彼でもが政治家になれるわけではありません。現在では自民党でも医者や弁護士、民間企業やNPO出身者の方々が選ばれています。そういった意味で、政治家もどんどん多様化しています。
「一生分の選挙」をしたからこそ、今の自分がある
―西村先生は、初選挙の際は惜しくも落選となりましたが、その時はどのようなお気持ちだったのでしょうか。
最初の選挙のときは、とにかく無我夢中でした。演説なども、何を言えば有権者に声が届くのか全然分かりませんでした。例えば私は無所属での立候補だったため、自民党の現 職の方の政策で、市民が不満に思っているような ところを遠慮せずに指摘する、などといったことをしなければ、勝つことは難しかったでしょう。毎朝駅に立ったり、ポスターを各所に貼らせていただいたりと、ある程度の活動は行っていたつもりでしたが、今思えば、「もっといろんな事ができたのではないか?」と負けたことで多くの 反省点を兄い出すことができました。落選してからの三年間は、地元をくまなく回り、私がどのような人間であるのかを知って いただくことを徹底しました。 落選中に、麻生太郎先生にお会いする機会があったのですが、落選経験のある麻生先生から「落選中は一生分の選挙をするつもりで選挙活動に臨め」とご教示いただきました。そのお言葉を 胸に、ポスティングを夜遅くまで行ったりしました。夜にボスティングしたチラシを朝刊と一緒に見てくださり、朝の街頭演説で声をかけていただいたりした際には、そのような地道な活動が着実に成果を出していることを 実感できました。また、地元の皆様との 意見交換会も少人数で開いておりました。10人や15人と いった少人数だからこそ、私の意見にしっかり耳を傾けてくださいました。逆に、皆さんの一つ一つの御意見を舅に体することができたのだと思っています。
―地域のつながりを重視した活動に尽力されていたということでしょうか。
そうですね。地元での活動、ということでしたら、他にもメディアへの露出をしていました。ラジオで毎週旬のトピックについてのコメンテーターを務めたり、テレビでは地元の名産品を紹介するといったことをしていました。ラジオはトラックの運転手さんや昔ながらの飲食店の店主の方々に聞いてもらうことができました。テレビ番組は地元の主婦の方々に私がどのような人間であるのかをご理解していただくのに役立ちました。 もちろん、東京で仕事したいという思いは、強かったです。 同期の人間が予算委員会などの表舞台で質疑を行うといった光景を見ると焦りもありました。
しかし、「一生分の選挙をしろ」という格言を心に留め、ぐっとこらえて地元での活動をつづけました。しかし、それは地元で365日を使う、というわけではあり ません。どうしても地元だと、 東京の霞が関で何が起こっているのか、政策がどういった方向に進んでいるのかがわかりづらくなるからです。そのため、月に一度か二度は東京に行き、議員や役所の先輩方の様々なお話を伺い、最新の資料をいただき自分の情報を更新していました。代議士となった今でも、地元と東京とのパイプ役、という部分は変わっていません。
かつての中選挙区制では、同じ選挙区から複数の政治家が選 出されていました。そのため、各々が得意分野を活かしながら活動していました。ところが、今では小選挙区制になり、地域の皆様へお伝えする範囲も拡大し、農業も金融も外交も全部ひとりで説明しなければなりません。そのため、より勉強する必要が出てきましたし、議員の質もより求められるようになりました。
長期的な国益を見据えて
―そもそも外交上の交渉力とはどういったものなのでしょうか。また、複雑化する日露、日中関係の中でどのように交渉を進められるのですか。
外交は、一見すると外国との関係の問題ですが、実は内政問題なのです。外交政策は、当然ながら外国との関係維持・進展を目的に行われます。ところが内政はあくまで国民のために行われるものです。だから、外交は国民が納得するかどうかが、重要です。いくら外交戦略を自分が正しいと思う方向に推し進めだとしても、最後に皆さんの支持を得る事が出来なければ意味がありません。そのためにも常日頃から国民や利害関係者との信頼関係の構築や、密なコミュニケーションによる相互理解が非常に重要になります。
また、外交交渉の際には相手のことをよく知っている事も重要です。交渉相手個人の交渉の資質や経験を考慮にいれなければなりませんし、相手がこのようなカードを持っている、このようなことを求めてくるということは事前に知っておく必要があります。私自身は、将来どのような相手とも交渉可能な様に、各国の次の世代、あるいは私と同世代のリーダーたちとの交流を深め、自らの備えとしています。また、当然ながら相手国内にも同じように国民の意思や利害関係がある事を忘れてはなりません。相手の状況を分析する事で、「相手にとって譲れない部分、譲歩できる部分はどこか」を探りながら、交渉を行っていきます。そして、外交の根幹には日本の長期的な国益があります。それは現時点で必ずしもみなさんに支持されるとは限りません。しかしながら、最後に日本が守らなければならない物はなにかという事を踏まえて交渉を進めていく必要があります。こういった事を考慮に入れながら交渉しなければなりません。
各国との関係も、領土問題をはじめとして、国益を原則として交渉していくことが求められることは先に述べた通りです。何事においでも簡単には進まないので、中長期的なビジョンを持ちつつ、世界経済や情勢を考慮に入れて、進めていく必要があります。ロシアや中国は、現在経済情勢が大変不安定です。その状況を日本としてどのように捉え、外交のカードとするのかを考えます。また、外交において、首脳同士の信頼関係も重要です。森元総理とプーチン大統領のように信頼関係を築き、その信頼関係を次世代に継続していく事で交渉の糸口が見えてくる可能性もあります。交渉相手国の状況を分析しつ、必ずしも日本の言い分がすべて通るわけではないけれども、日本の国益を最大化できるように交渉していく事が重要と言えます。
大学生活の限られた時間の中で
―将来日本人がグローバルに活躍するために、学生が在学中にしておくべきことは何ですか。
これは私の反省も込めてですが、海外に早く出て、海外の雰囲気を味わうことが一つ目です。私が初めて海外に行ったのは大学の卒業旅行でした。もちろんそれ以降100ヶ国以上訪問しましたが。やはりこれだけグローバル化が進んでいるわけですから、どんなことをやるにしても世界の動きを知らなければいけません。海外の人、モノに実際に触れ、政治や経済を見ることが、必ず今後の糧となると思います。
それから、歴史の本や名著と呼ばれるような本を読むことです。なかなか今の学生はそういったものに取り組むことは少ないかもしれません。多くの人が読んできたもの、先輩方が学んできたものを読むことは重要です。また、大学の先生の授業を聞くことも大事です。教授の先生方は多くの情報を知っているため、その先生からしたら当たり前、というようなことでも、学生にとってはとても新鮮で刺激的になるような情報を聞くことができるわけです。専門分野にとどまらず、多くの先生の授業を聞き、その先生方の書いた教科書を読むことで、自分の知らない世界が広がると思います。最後に、様々な各界で活躍されている方の話を聞いて回るとよいと思います。政治や学問だけでなく、経済界の有名な経営者をはじめとする社会人の話を聞くことです。日本の場合は、最近になって大分変わってきましたが、学生時代に社会との関わりが少ないのが現状です。インターンシップなどにも是非挑戦して、社会に触れる機会を大事にされるのが良いと思います。学生時代というのはあっという間に過ぎていきます。学生時代という限られた時間の中で、様々な経験を積んでください。
西村 康稔 (にしむら やすとし)
1962年生まれ。灘高校、東京大学法学部卒業。通産省入省後、米国メリーランド大学公共政策大学院で国際政治経済を学び修士。通産省・環境立地局立地政策課調査官、経済企画庁・物価局物価政策課、資源エネルギー庁石油部計画課・流通 課などを経て衆議院議員に。内閣府副大臣、外務大臣政務官を歴任。