潜入「日露議員懇話会」安倍外交の日露関係とは 
議員一向に同行しその内情を探る

日頃国会議員は、議会以外にどのような場で合意形成を行っているのだろうか。議会に上がってくる議題は、既に各委員会等である程度議論と調整がなされ、本会議での採決を経ていることは周知だろう。では委員会で議論される議題は、どのような過程によって話題に上がるのだろうか。基本的には議院運営委員会の理事会が、有力会派間の橋渡し役となり、議員連盟の声を集約し、調整を行っている。

※本取材は平成30年6月下旬に行われたものです。(本誌8号掲載)

議員連盟から国会議員の活動を考える

議員連盟とは、何らかの目的を持って結成された会の総称で、軽く調べただけでもざっと350近く存在する。というのも政策や政治課題に関連するものから業界団体の連帯推進のためのものもある。果ては、趣味に関するもの、同好会のようなものまで存在するため、すべての議連の活動を把握することは困難である。そのため自分の所属する議連の数が二桁に上る議員も少なくなく、実際に委員会に影響力を及ぼす議連がどれほどなるのかは判然としない。また、議連の多くは超党派で集められる。因みに国際関係における最大の超党派議連は、日ソ共同宣言時に発足した日ロ(ソ)友好議員連盟だ。しかし活動内容に実行力は伴わず、表敬訪問や懇親会に重点を置いているように思われる。

 

外交に関する議連は、相手国の議員と共通する政策方針や交渉事に寄与することがある程度可能のように思うが、なぜ差程実行力が伴わないのかを考えてみた。

 

まずは超党派ということが引っかかる。外交の場での議員同士の軽いブレーンストーミングの場でもイデオロギーが異なる超党派で議論をしようとすると、各党の考え方に縛られて結局は革新的な意見は出ず、発展性のある内容になりづらいのだ。

 

そこで今回は、従来の議連とは異なる動きを見せている「参議院議員自由民主党日露議員懇話会」(以下、日露議員懇話会)について調べた。この議連の特徴は、与党且つ6年という確定された長い任期の参議院議員単独の会であることだ。また、カウンターパートナーとなるロシア連邦院「露日議会間・地域間協力支援協議会」(ロシア連邦院露日協議会)も、ほとんどが与党である統一ロシアの所属で、任命された任命された連邦構成主体の代表である連邦院議員で構成されている。要するに両国の与党上院単独の組織で長期に渡る議員間の信頼醸成の貴重な場となったのである。

サハでの日露議員懇話会の概要と誕生の背景

私は6月22日から24日に行われた、「ロシア連邦極東サハ共和国ヤクーツク訪問ミッション」に参加した。これは、日露議員懇話会が主催し、ロシア上院議員らとの議員交流や地域間協力を促進するための機会として設けられたものだ。日本から参加した国会議員は、会長を務める世耕弘成経済産業大臣(ロシア経済分野協力担当大臣)と、松山政司内閣府特命担当大臣(当時)、塚田一郎議員、中泉松司議員の4名だ。

 

ロシア側ホストは、「ロシア連邦院露日協議会」で、連邦政府のコサチョフ上院国際問題委員長、ニコライエフ共和国首長代行(当時)を筆頭に各地方から集まった10名近い議員が参加していた。

 

結論から述べると成果としては、日露間共同事業の歴史で初となる議員交流や地域間交流を目的とする覚書が23日にサハ共和国の首都ヤクーツクで結ばれたことであろう。

 

さて、私が実際に見聞きした実務的な外交交渉について実況する前に、日露議員懇話会の説明から始めたい。現在、当議連は、参議院議員約30名で構成されている。今回の参加者が4名というのは少ないと思ったが、国会の会期延長につき最少人数へと調整されたのだと聞いた。

 

当議連が発足したのは2016年と新しいが、もともとは1991年より続く「日本JCロシア友好の会」がその発端となっている。日露両国間の民間外交に長らく貢献してきたこの会は、文化・経済・社会に関する調査研究、交流の促進に取り組んできた中、ロシア国会議員団との会合などを機に政治面でのアプローチの重要性を痛感し、2004年日本JCでは政治的支援組織で唯一の存在となる「国会議員有志の会」(=対露国会議員の会)を創設した。そして2005年、ルシコフモスクワ市長(当時)が主催していたロシア21世紀委員会に属する国家院議員グループと「日露若手国会議員の会」という有志の議員連盟を結束した。日露議員懇話会は、更にその進化版というわけだ。

 

発足時、ロシアスプートニクの記事には、世耕大臣の「日露議員懇話会は、参議院自民党の中堅議員を中心に身軽に交流を行うことを重視しており、機動力のある会として、この懇話会を機能させていきたいと考えています。」 という発言と共に、期待を寄せる声が記されている。

カウンターパートナーについての疑問と推測

ところで皆さんは、「サハ共和国とは何ぞ?」と思っていたのではないだろうか。恥ずかしながら私もこれまで聞いたことすらなかった。

 

サハ共和国は、ユーラシア大陸の北東部に位置しロシア連邦最大の土地面積を有する。首都ヤクーツクの冬は非常に厳しい。中でもマイナス71度を記録したことのあるオイミャコン村は、居住地として世界で最も寒い極寒の地として知られている。今年は、ロシアワールドカップが開催されたため、カザン、サランスク、ボルゴグラードという都市名に聞き覚えのある人も多いだろう。しかし、これらの開催都市は、すべてロシアの西側に位置している。それは、サッカー大国の欧州勢からして距離が近いこともあったかもしれないが、ロシアの東側は、人口密度も低く、開発が遅れておりインバウンドを受け入れる体制を整えることがまだ難しいと判断されたからだと考えている。

 

ではなぜそのような辺境の地の訪問がなされたのだろうか。

 

近年ロシアでは、「極東開発政策」をはじめ、西側に偏りすぎた政策の数々を均一化しようとする姿勢が見られている。2011年の極東開発基金を皮切りに、ロシア連邦開発省(2012年)極東投資誘致・輸出支援機構(2015年)など連邦政府が率先して地方政府へ政策を提言している現状があるのだ。

 

ロシア連邦は、共和国や州等83(85)の連邦構成主体からなる連邦国家で、サハ共和国は、ロシア連邦に22ある共和国の一つだ。これらの連邦構成主体は、99年にプーチンが中央集権化を図るために設けた6つの連邦管区に分けられ、大統領全権代表によって監督されている。また、代表たる共和国首長も連邦政府の任命制で選出される。つまりどれだけ聞きなれない地方政府だとしても、中央政府のご意向が色濃く反映されているという訳だ。サハ共和国は、その中でも「極東連邦管区」に属しており、ロシア連邦政府が開発に力を入れる「極東経済発展政策」の地域に該当している。

 

極東エリアには、開発しなければならない理由と開発したい理由がある。前者は、人口問題だ。元より600万人程度のロシア人しかいない極東エリアでは若者の流出が著しい。一方で中国との国境地帯を中心に出稼ぎにきた中国人の流入が激しく、連邦政府の目が届かないところでの中国流の実行支配を避ける必要に迫られている。後者の理由は、石油開発だ。サハ共和国にも膨大な石油が埋蔵されているが、極寒の地で石油を採掘する技術は、精度が低い。また、LNGなどを搬送する鉄道などの搬送路の整備も不十分でこの分野は、既に中国や韓国の技術支援に先を越されており日本企業が食い込むには障壁がかなり高いであろう。

 

一方日露間では、2016年5月より8項目の「経済協力プラン」に力を入れている。特にロシア側に歓迎されているのは、日本の医学の知見を活用したロシア国民の健康改善のための協力、渋滞対策や老朽化したインフラの更新等への協力といった社会問題への取り組みだと聞く。私は、「これだけでは日本が得るものは少ないのでは?」と懸念していた。実際のところ今回のサハ訪問は、ロシア側の熱望に応える形で企画されたそうだ。会合に乗り込みサハ共和国の議員たちから肌身で感じたのは、人的交流、中小企業投資を組み込むことで長く続く付き合いを可能にしようという熱い思いであった。

北海道総合商事の取り組む共同事業

8項目の「協力プラン」で創出された事業は、ロシア全体で既に150以上に上る。サハ共和国に関するものはま11だが、北海道総合商事とヤクーツク市行政及び現地銀行の合弁企業であるサユリ社が運営する温室栽培プロジェクトは、その成功例として有名である。厳しい気候条件を持つサハ共和国では、安定した食物の供給が難しい。しかし、これらの企業は、新鮮な野菜を一年中供給するための温室施設を利用可能にしたのだ。発想だけを聞くと簡単に納得してしまうかもしれないが、成功までの過程には困難な壁がいくつもあったようだ。

 

まず、サハ共和国の気候の厳しさは想像を絶する。永久凍土のサハでは、1年のうち10カ月が冬である。冬の寒さは、建物を支える鉄筋を収縮させる。そのため建物が倒壊しないように、建物の高さの倍以上の柱を地下に埋める必要がある。温室施設に使われる金属類にも工夫が必要で以前に挑戦した中国や欧州の企業は、音を上げて撤退してしまったそうだ。

 

また、ロシアの建築会社として登録されていない北海道総合商事は、人材育成・技術指導という形で日本企業のホッコウと協力し事業に挑んだ。そもそも低品質な食材に慣れていた現地の人たちに高品質な食材を提供を理解されるのだろうか。会合には、北海道総合商事の天間幸生代表取締役もいらっしゃっていたので「何故このような利益の見込みが高いとは言えない事業をしているのか。」と伺った。「確かに市場の創出から始める必要のあるこの事業には、根気が必要だがまずは、供給の安定を求める声に応えたいという思いが先行した。」と熱っぽく語られた。韓国企業とオランダ企業が技術開発に苦戦する中、最後まで挑戦したのは、天間氏であった。今では、現地の農学部の学生たちにも技術指導を行い、雇用の創出にも貢献しているそうだ。

 

天間氏の話を聞いて潜在的な市場をかぎわけ、時間を掛けて開発していくことは、非常に有用な手段だと感じた。

船上で行われた会合の3つの議題

サハ訪問は、過密なスケジュールであった。先方は、世界遺産に指定されているレナ川の柱群をどうしても案内したいとのことで、会合は柱群へと向かう船の中で執り行われた。会合では3つの議題について議論がなされ、その全てで同行した事業家たちの聴講が許されていた。

 

一つ目の議題である「懇話会と協議会の協力」では、双方の議員が多岐にわたるテーマについて縦横無尽に意見を投げ合っている印象を受けた。先方の話では、まず調印の済んでいる事業を一刻も早く具体的な取り組みに落とし込みたいということであった。その点で日本側がビジネスミッションを派遣したことを高く評価し、自国の対応不足を反省していた。議員の役割は、実の伴う地域間の橋渡しになることとして、新たに「日露知事議会」を立ち上げる予定だとも話していた。また、「欧米諸国のロシア制裁が日本のおかげで多少緩和されている」と持ち上げた後にやんわりとした口調で、G8への復帰のために日本に口添えを願いたい旨を述べていた。

 

日本側は、先方の要望に対し国家レベルの問題は「持ち帰って検討をする。」と答えていたが、細かな地域間交流の話題には、詳細まで応じているようであった。また、共同事業の進捗については、日本は意思決定の慎重さと、意思決定後の着実な実行が企業気質であることへの理解を求めていた。両国間の貿易の伸びが鈍いことへの問題視は、同一の見解で今回の覚書のように、毎回文書で署名を行うなどして進捗状況の確認と着実に前進させる方法について議論を交わしていた。

 

二つ目の議題は、ロシア側による「ロシアの社会・経済発展の実現に関する日露の協力の可能性」についてのプレゼンテーションであった。先述したように、ロシアでは、社会問題、インフラに関するレベルが他の先進国と比べて非常に遅れている。日本が技術投資をした渋滞緩和のための信号機や温室栽培、ゴミ処理施設のノウハウが如何に役立っているか、その進捗を丁寧に報告している姿には、この8項目の「協力プラン」の効果を素直に感じることが出来た。またサハでは、90年代より北海道大学の科学者たちの協力の元、気候や地質の研究がなされ、生活水準の改善に寄与しているそうだ。今後は、北極開拓へ向けてロシア科学アカデミーと研究を推し進めたいなどの声もあった。

 

三つ目の議題は、「イノベーション・情報・コミュニケーション技術の発展における日本の都道府県とロシアの連邦構成主体の役割」に関するプレゼンテーションで締め括られた。会合の前にビジネスミッションだけで行われた「中小企業ビジネス対話」でもIT関係の話題に対する先方の関心は、非常に高かったそうだがこの議論には、擦れ違いを感じた。というのも各地方の議員が自分の地方の秀でた先進技術について熱弁をふるい「投資を求めたい」といった内容であったが、日本側がどういったものに価値を見出すかなどの事前調査は全くされていない様子であった。色々な事業に携わる人が一堂に会するメリットを生かせておらず、日本の領土問題先行の外交スタイルにロシアが嫌気を抱いているように、ロシアも注文ばかりの投資先行型の交渉スタイルでは、聞く耳を持ってもらえない事に気付くべきだろう。北海道総合商事や日揮が進出するにあたっては、共通する動機がある。特に温室建設には、「新鮮かつ安全な食料の確保」という現地からの切実な要請があったからだ。利より実をとった形だった。企業である以上利益を追求せねばならない。どちらか一方が利益を得るのではなく日露双方がwin-winの形を構築しなければならない。そのために今後更なる共同事業を増加させていく上で、市場の研究は双方にとって一層必要となるだろう。全般的に会合の雰囲気は良好で、予定された時間を大幅に延長した。想像よりも濃密な議論がなされていたように思う。

鍵は懇親会にあり?経済連携の課題と展望

会合の後、ロシア側主催で親睦を深めるための懇親会が執り行われた。ロシアでは、何かにつけて乾杯する風習がある。参加した両国の議員らは、会合の感想などを述べて乾杯した。プロの歌手がオペラや日本の歌謡曲を歌い演奏家たちは伝統音楽を奏でて賑やかした。

 

レナ川での船上会合の前に、使節団一行は、白夜の時期に2日間に渡って開催される夏至祭(馬乳酒祭)「ウィスアフ」に招待された。サハ共和国には、80のユーラシア諸民族が暮らしている。民族衣装を身にまとった人々が参加者する催し物としては、規世界最大の規模なのだそうだ。お祭りの最たる趣旨は、太陽への感謝だ。民族衣装に身を包む子供たちが舞い、若者たちが民族楽器のホムス(口琴)を奏でた。数万人にも及ぶ参加者は、司祭者と共に「ウルーイアイハー(太陽に感謝します)」と何度も唱えていた。この伝統的なお祭は、白夜の間、夜通し行われ、午前3時の日の出とともに、人々は太陽に手を翳しそのエネルギーを貰うのだという。

 

懇親会も中盤に差し迫った頃、ビジネスミッションの中から自然発生的にこの「ウルーイアイハー」という歓声が生まれた。これには、ロシアの議員らも気を良くしたらしく空気ががらっと変わるのを感じた。歯を見せて豪快に笑うようになり乾杯の先導を我先にと名乗り出るようになったのだ。懇親会終了後も、私はロシア人のお供の方々に沢山声を掛けられた。皆口を揃えて、日本人を気に入ったと嬉しそうに話してくれた。

 

翌日は、サハの観光資源を色々と案内された後、帰国の手筈となった。しかし、航空会社の都合で2時間ほどの遅延となったのだ。やっとのことで飛行機に案内されるとしばらくして滑走路に1台のバスがやって来た。大臣たちが出てきた後に、コサチョフ氏とニコライエフ氏を始めとするロシアの議員らが続いて出てきた。2時間以上の遅延の中、送迎のために全員が待っていたことに私は驚いた。コサチョフ氏は、滑走路からタラップへと上がっていく大臣らを一度は下から手を振って見送ったにも関わらず思い立ったかのように階段を駆け上がって来た。どうやらヤクーツクと描かれた機体を背景と共に日本の大臣らと写真を撮りたかったのだろう。最後は何度も熱い握手を交わしていた。

 

後日、友人となったロシア人の政府関係者から「大臣に届くよう計らって欲しい」と、一枚の写真が送られてきた。咄嗟にスマートフォンで撮られたその写真にはタラップで無邪気な笑顔を見せている議員らの姿があった。

 

現在の日露関係は、両首脳の人的関係に期待するところが大きいのかもしれない。しかしそれに連なる大臣や国会議員をはじめ私たち国民が、支えていかねばならないものであろう。そのためには、相手を知り尊敬しあうことが大切だ。身をもってこのような議員懇話会や民間交流を存続させる意義を確信する好機となった。

三宅 綾香(みやけ あやか)

立命館大学政策科学部卒。同大学院にて地政学によるロシアの安全保障と大国主義に関する研究で修士号取得。社会起業家。

潜入「日露議員懇話会」安倍外交の日露関係とは  議員一向に同行しその内情を探る