イスラエルのワクチン最前線
コロナが作り上げた分断軸と日本への提言
イスラエルのワクチン接種件数が順調に伸びている。昨年末にワクチン接種が開始されて以降、既に518万人(イスラエルの人口929万人の約6割弱に相当する。)がワクチン接種を完了している。厳格なロックダウンは、すでに解除され マスクさえ着用していれば、コロナ禍以前に近い生活を送ることができる。(文・写真:徳永勇樹)
写真:エルサレムにてワクチン接種をうける筆者
※本記事は2021年4月30日時点の情報に基づきます。(『インスピリッツ』本誌11号掲載)
イスラエルにおけるコロナ対策
イスラエルは、人口1000万人足らずであり国土も日本の四国程度の広さで、日本と比較してもかなりコンパクトな国である。しかし、その機動力を最大限に活かして徹底したコロナ対策を行った。まさに国全体が「総力戦」で対応していたのだ。
例えば国内の多くのホテルが感染者隔離用のホテルに変えられた。ある在留邦人は、「イスラエルの危機対応能力は圧巻です。病棟が足りなければ、ホテルを患者収容スペースに改修して軍もすぐに出動させます。其の柔軟性・臨機応変さは、日本も見習うべきだと思います。」と語る。
ワクチン入手方法も徹底していた。特務機関モサドが、初期の段階で世界のワクチンを 搔き集めたという報道もなされた。更にネタニヤフ首相は、ワクチン製造会社ファイザー社のユダヤ人社長と計17回の会議を行って世界最速でワクチン供給を可能にした実績をアピールしている。その様な背景があり2020年12月末にワクチン接種開始のアナウンスがなされて、わずか3か月の間で人口の約6割に接種を完了することに成功したのだ。
ワクチン接種のシステム
なぜそれほど短期間でワクチン接種が可能になったのか。筆者は、イスラエルならではの2つの事情が良い方向に働いたからだと思っている。
1つ目は、IT化だ。イスラエルでは、保険会社ごとにインターネット上のサイトが設けられていて、そこでワクチン接種を予約する形式を取る。イスラエル国民は、ほぼ全員保険に加入しているので、個人とワクチン接種データの紐づけが比較的容易である。そのため現在は、どこの病院に行ってもすぐにワクチンを受けることができる。(イスラエルでは、現時点で16歳以下の子供を除く全員がワクチンを接種する権利を持つ)
2つ目は、イスラエルお得意の「柔軟性」だ。今ではワクチン先進国となったイスラエルだが、初期には様々な混乱が発生した。その一つがワクチンが余ってしまう問題だ。サイトで予約した人のうち一定数当日無断キャンセルが発生してしまう。筋であれば使わなかったワクチンは、そのまま次の日に持ち越すべきだが、管理上の理由(冷凍保存されたワクチンを保存できない)でその日のうちに廃棄せざるをえなかった。
そこでイスラエルでは、保険省の許可のもと接種所が余剰ワクチンの情報をSNSで拡散させて、ワクチンが少しでも無駄にならないよう工夫したのだ。筆者も実際に接種所を取材したが、余ったワクチンたちの引き取り手になるべく連日連夜予約ができなかった地元の人々がワクチン接種所にやって来ていた。現場の判断で対応を柔軟に変えるのは、今回のような非常事態には大変有効だと筆者自身も感心した。
筆者のワクチン接種体験
実は筆者も1月にワクチン接種を体験した1人だ。上記で記載した通りワクチン接種のためには保険に加入し、その保険会社経由で予約をする必要があったが、大学院で加入していた保険がコロナワクチン適用外だったためしばらくワクチンが接種できなかった。
しかし 1月末になると筆者のような外国人や無保険の人々向けにワクチン接種会場が限定的に公開された。筆者は、その話をイスラエル人同級生から話を聞いて早速接種会場に向かった。会場は、筆者の様に保険未加入の人々でごった返していた。係員から「システムの都合で外国人への接種はできなくなったから帰れ。」と追い返されそうになったがなんとか接種所にもぐりこんだ。
受付の係員の女性に自分の名前、パスポート番号、携帯番号を伝え、アレルギー反応などの簡単な問診を受ける。係員は、手元のスマホで私の情報を入力している。そうして問診が始まったかと思ったら軍服姿の医官が現れ、「腕をまくれ。」と言われた数秒後に接種は終わっていた。筋肉注射だから痛いという前評判があったので心配はしていたが、実際の接種は、針が入ったことにも気づかないうちに終わった。
係員から「お疲れ様。2回目の接種をちょうど3週間後に受けにこい。」と言われてそのままその日は自宅に戻った。3週間後の2回目の接種時も 1回目と同様にパスポートを見せて、簡単な質問に答えて接種を受けた。今回も特に痛みもなく、体調不良もなかった(接種した日の夕方に強い眠気はあった)。
2回の接種が完了すると、接種証明書とグリーンパスポートがメールで送られてくる。これを公共施設に入るときに見せると中に入れてもらえる仕組みになっている。またイスラエルではワクチン接種を完了した人は、グリーンパスポートが付与されることになっている。これがあれば、ジムやスイミングプールを利用できる様になる。 更にセーシェル、ジョージア、キプロス、ギリシャ、ルーマニア、セルビアが新型コロナウイルス・ワクチン接種完了者を隔離措置無しで受け入れる方向で協議が進んでいる(他の欧州諸国とは、現在交渉中とのこと)。
また筆者以外にも、多くの在留邦人がワクチン接種を終えている。受けた理由は様々だが、総じて「ワクチン接種に不安がなかった訳ではないが、人口のかなりの割合の人が既に接種を済ませている事実や、ワクチンの有効性に関する前向きな報道発表に触れるうちに、徐々に不安感は消えたから。」と云うのが一番の理由の様だ。ある人は、「イスラエルがワクチン接種によるコロナからの回復で世界に期待を与える。その大きなムーブメントにイスラエルにいる身として参加したかった。」とも回答した。
その一方でワクチンによる副反応と見られる症状を経験した人もいた。ある女性は、ワクチンを接種した数日後に「蓄膿症の様な頭痛、吐き気、全身の力が抜けた様な倦怠感、食欲減 退があった。」と云う。他にも 筆者の周りにも数名副反応で体調が悪くなったと言う人もいる。もっともワクチン接種と体調不良との直接の因果関係で未解明のことも多く、副反応の発生条件についても人それぞれで異なるため、ここでは全体のうち一部の声とお考えいただきたい。
イスラエルが目指すもの
この様に国内で徹底したコロナ対策やワクチン接種を経験したイスラエルは、そのノウハウを遺憾なく発揮してワクチン外交を始めた。
先日もイスラエルが関係強化を望む国に対して「国内の余剰ワクチンを供給する交渉に入った。」という報道が出たばかりだ。その対象国は、イスラエルの首都をエルサレムと認めたホンジラスやエルサルバドル(日本を含む世界の多数派がイスラエルの首都をテルアビブとして在外公館を置いているが、米国や中南米諸国の一部は、エルサレムを首都と認めている。)、イスラエルと国交のないモーリタニアなどが含まれている。
またシリアで人質になったイスラエル人の解放の交換条件として、イスラエル政府が持つワクチンを提供するという線で交渉がなされたという報道もある。相手国によってはワクチンが「交渉カード」としても十分に有効だという証左と云 えよう。今後ともワクチン接種の知見を十分に有する国として、イスラエルの世界的なプレゼンスは、高まっていく可能性が高い。
国内でもこうした強いリーダーシップへの支持は根強い。現地時間の3月23日に実施されたイスラエルの総選挙にも大きな影響を与えたと云われる。汚職問題等で再選の危機に瀕していた現ネタニヤフ政権にとっても大きな助け舟になったという見方が強い。
イスラエルにおけるポストコロナの生活
この様にイスラエル人のみならず外国人への接種も進んだことで、2021年3月現在では、レストランやバーが通常の営業を再開させてあたかもコロナ禍が始まる前の様な生活が再び始まったかのように街に活気が戻ってきた。そんな中ポストコロナを象徴する様な面白い取り組みも始まった。
2021年2月19日、イスラエルの最大都市テルアビブで恒例のマラソン大会が開催された。世界遺産にも登録されているモダンな街並みや海沿いのビーチや歴史ロマンあふれる旧市街を通るコースは、毎年ランナーからの評判がいい。しかし今年は、コロナで中止の可能性があり、開催が危ぶまれていた。その危機を救ったのは、イスラエル企業が開発した「Kapaim」というアプリだ。
仕組みはこうだ。参加者は、スマホのアプリを事前にダウンロードしておく。そしてスマホをアームバンドで装着して走ることで、アプリとスマホのGPSが連動して走った距離に換算し、1kmごとに走行距離を音声で知らせてくれると云う。このアプリを使えば好きな時間にどこでもマラソンに「参加」することができる。コースが存在しないので、家の周りなど好きな場所を走ることができる。極端な話、日本にいながらしてテルアビブマラソンを完走することもできてしまうのである。
今年のテルアビブマラソンのテーマは、「離れていても一緒に走る。」だ。マラソンは現地にいないと参加ができないという概念を大きく壊す画期的なアイディアだと言える。
コロナが作り上げた3つの分断軸
以上の状況を見ていると、コロナ対策をし、ワクチンを打って、適切な感染対策をすることができれば、コロナ禍以前に戻れるのではないかという気持ちになってくる。筆者もそう願いたい。しかしここで、コロナ禍が作り出した問題を冷静に振り返る必要があると思う。筆者は、イスラエルに暮らして身をもって実感した3つの分断、つまり、「個人」、「国家の内部」、「国家の外部」に走った断層について触れたいと思う。
まず、個人間の分断だ。読者のほとんど全員が経験されたかと思うが、コロナによって気軽に人に会えなくなった。もしくは、会えても常に緊張感を感じてリラックスできない。筆者も例外なくこれを経験したが、海外でマイノリティと暮らして初めてそれ以上に恐ろしいことを直接経験することになった。
例えば訪問したパレスチナ自治区では、「アジア人は、コロナを持っているに違いない。」と云う偏見に基づいて、筆者もつばを吐きかけられたり石を投げられたりした。世界中でもアジア人に対するヘイトや暴力が報道されているが、全世界でこのような事象が起きている。自分の存在が地元の人たちの心理的安寧を崩し、敵対的な行動を取られる。これまで「日本人だ」と言えば、どこでも笑顔で歓迎されきた私にとって非常にショッキングな経験だった。
海外で庇護者もなく、何者でもない一個人になった時、滞在する国に自国の大使館があって、本当に困ったら駆け込むことができることほどありがたいことはない。紆余曲折を経て、日本に一時帰国できたときは「家に帰って来られて本当に良かった。」と心から思ったものだ。そうして自分のホームグラウンドで、堂々と怖い目に遭わせた存在に敵意を向けたくなってしまった。今まで仲良くしてこれた人との時間をすっかり忘れて漠然とした恨みだけが残ってしまう。これまで良くしてくれたパレスチナ人に対しても複雑な気持ちを持つことになった。
更に恐ろしいのは、この様な分断は、日本人同士にも起こってしまったことだ。コロナのせいで家族や友達同士でも会えなくなり、特に見知らぬ人との接触に無意識の不安や抵抗感を作り上げてしまった。結果、「ウイルスを持っている可能性が少しでもあると思われる人」、特に「素性がわからない人」に対する当たりが強くなったことが背景にあるのだろう。県外ナンバーの車へのいたずらや、医療従事者への嫌がらせなど例を挙げ始めたらきりがない。これまで疑ったことのなかった人間関係を改めて疑わざるを得ない状況になり、個人同士の人間関係が分断されてしまったのは残念で仕方ない。
次に国家内にできた「ワクチンを打った人」と「ワクチンを打っていない人」の分断だ。
国民皆兵の強い軍隊のイメージに反してイスラエルの国内は、決して一枚岩ではない。ユダヤ教、イスラム教、キリスト教、その他の諸宗教ごとの違いはしばしば例に挙げられているが、ユダヤ教内(ユダヤ教に熱心な超正統派から、戒律を守らない世俗派まで分かれている。)での宗教的な温度感の違いも大きい。出身地(アシュケナジーと呼ばれる東欧系のユダヤ人、セファルディムと呼ばれる北アフリカ・イベリア半島出身のユダヤ人、ミズラヒームと呼ばれるアラブ諸国出身のユダヤ人など。)の違いによる差異もあり、幅広い多様性を擁する国なのだ。
集団免疫の獲得のためには、社会の構成員のできるだけ多くの人がワクチン接種をすることが望ましいとされる。イスラエルを例に取れば、証明書がなければレストランや公共施設に入場できなくなるという意味でほぼ強制接種である。しかしその枠に「収まらない人々」が出てきたのである。加えて、パレスチナ人への接種も進んでいない。
最後に国家の枠の外で出来上がった新たな格差の存在である。俗に言う「ワクチンナショナリズム」について触れる。既に先進国と開発途上国とではワクチン確保の量が異なることが指摘されているが、今後、経済活動を再開させる国が増えるにつれてこの格差は広がっていくとされる。
早期の段階で国民の多くにワクチン接種を始めたイスラエルは、ワクチンの保管量や接種のノウハウの蓄積量でコロナ禍における世界的なプレゼンスを高めつつあり、今後もその地位を内政・外交に遺憾なく発揮することが予想される。
しかしこの様な施策を取れる国はごくごく一部である。ほとんどの国がワクチン調達の見通しすら立っていないのが現状だ。こうした国々は、世界から取り残されてしまうだろう。実際にEUは、域外へのワクチン輸出を規制する動きを徐々に進めている。こうして予期される格差によって、ワクチンを「持てる人々」「持たざる人々」という新たな分断が生まれないことを祈るばかりだ。
以上の通りコロナ禍と云う「大地震」 は、個人と国家の内外に「大きな断層」を走らせる結果となった。
コロナは、世界的な課題である。現代の国家は、国境・人種を飛び越えた世界的現象と立ち向かわなければならぬ一方で、国内の人々への対応という二つの役割を担うことが期待される。ここで重要なのは、安易な「自国第一主義」といい加減な「協調主義」に振れぬよう、絶妙なバランスが求められることだ。1929年の世界恐慌で早急に立ち直った国々が、その後の国際秩序で大きな存在感を見せつけたが、あの時代の再来とならぬことを切に願いたい。
日本に提言したいこと
世界では、既に新しい事象が日々起きている。日本でも徐々にワクチン接種が始まっているが、その対応の遅さや政府の説明不足に不安を感じている国民も多いはずだ。本論稿の最後に今の日本の現状に対し、二点ほど主張を記載したいと思う。
一点目は、「目的を明確化したコロナ対策をすべきだ。」 と言うことだ。筆者が住むイスラエルにも国防、食糧確保、外交、教育などにおいてさまざまな課題が存在するが、その根本には、「イスラエルがどう生き残るか。」という明確な問題意識が存在する。イスラエルほど明確な目的に対して、明確な手段を作り出すことに秀でている国はなかなかないと思う。
また「失敗を責めない文化」が共有されており、新しい取り組みが仮にうまくいかなくとも「で、これからどうするのか。」という視点が重視される。「とりあえずやってみて、ダメなら別の方向性を探ろう。」という感覚が国民の間にも共有されている。そうやって明確な目的のもとにより良い手段が生まれるというサイクルが出来上がる。
その一方で日本は、高度な技術を持ちながらその技術力を持て余している節がある。最近も多額の税金を投入して作った、コロナ接触確認アプリ「COCOA」の不具合が指摘されていたが(詳しい経緯は不明だが、)結局そのアプリを「何のために作るのか。 」「それがどう役に立つのか。」といった目的についての議論が甘い。そして、それを使うユーザーの視点に立てていないのではないかとも感じる。手段が優れていても目的が曖昧であれば良い施策はとれない。
是非とも日本の政策決定者には、「あらゆる手段を尽くしてでも日本を生き残らせる。」くらいの気概を持ってほしい。そして、それを国民に明確なメッセージとして伝えるべきだ。
二点目は、日本国内に居住するといわれる300万人弱の外国人へのワクチン接種だ。「そもそも税負担をしていない外国人には受けさせるべきではない。」という主張や、「出身国の政府が面倒を見るべきだ。」などの意見が当然想定されるが、日本全体のコロナ収束を考えるならば外国人への接種体制の構築は必須だと感じる。日々更新されている感染者数には、当然日本人以外も含まれている。ワクチンを日本国籍者に限定しても、ワクチンを接種できない人がいる限り新規感染者は減らないし、病床逼迫の解決にはならない。ワクチンの費用の請求先については、議論があると思うが、今回外国人にも門戸を開いたイスラエル政府には、個人的には大変感謝をしている。
もっとも 、仮に外国人に対しても接種をする方針が固まったとしても課題は多い。例えば、言語の問題も非常に大きなものとなるだろう。イスラエルでは人口のほとんどが英語を話すことができる。そのために接種の際の問診も全て英語で完了し、何ら不安を感じることなく接種を終えることができた。しかし 日本、特に東京以外の地方都市でこのような体制は構築できるのだろうか。英語を話せない外国人に対してどのように情報を周知させて接種を実現するのか。
課題は山積みだが、是非大局観あるコロナ対策を求めたいものだ。
徳永 勇樹 (とくなが ゆうき)
イスラエル国立ヘブライ大学大学院・総合商社休職中社員
とくなが・ゆうき/1990年7月生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。日本語、英語、ロシア語に堪能。ロシア語通訳、ロシア国営ラジオ放送局「スプートニク」アナウンサーを経て総合商社に入社。在職中に担当した中東地域に魅せられ、会社を休職してイスラエル国立ヘブライ大学大学院に留学しアラビア語とヘブライ語を習得。言語通訳者に留まらず、異文化間の交流を実現する「価値観の通訳者」になるべく情熱を燃やす。イスラエル・旧ソ連地域について情報発信中。